PTL Day3/Day4
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栄養を十分に補給できたからか、今日は昨日のような体の重みはない。昨日はハンガーノックだったか?2時間も寝ていないのに、身体が軽い気がする。Col du Sapinを越えると街の明かりが見えて、ほっとする。といっても、町は遠いが。。。コンタリング道を進み、Courmayeurの町へ。若岡さんが、あまりに眠いので家の軒先で20分の仮眠。
Mont Chetifに登る。途中にいたスタッフに傾斜がきつく鎖場が多いのでポールはたたむように言われる。夜中なのに、所々にスタッフがいるのには驚かされる。確かに傾斜がきつく、進んでも進んでもなかなか水平方向に移動しない。CourmayeurからUTMBの大音声が聞こえる。ライブ映像でも流しているのか?水が少なくなったのか、疲れているのか若岡さんの速度が遅くなる。山頂に着きMont Blancの山塊がきれいに見える。スキー場を下りてコンタリング。そこから全く道のない藪の中を進む。GPSがなかったら全く進めないルート。ここでイタリア人女性3人チームに追いつく。
広い沢底にある最初のドロップバックポイントのVal Venyに9時半に到着。9時以降に到着したチームはこの後の安全装備をつけてのアトラクション(REFUGE MONZINO)はキャンセルされて、14時に一斉スタートとなった。このライフベースでドロップバッグを受け取り、食事をして、シャワーもできて快適に過ごす。チケットで買った食事は、他と同じようなスープとパスタ、コーラだった。基本的に荷物は屋外に置くように指示された。天気が良くて非常に気持ちいい。昼寝もできた。しかし、13時ぐらいに突然の雨で急いで準備をする。何か忘れ物をしてそうであるが。
レインウエアを着て14時に追い出されるように出発。氷河があるはずの場所に氷河はなく拍子抜け。。。
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氷河が終わったCombalの山小屋でしばしの休憩。川沿いに登り山小屋Elisabettaへ16時過ぎに到着。スタッフは忙しすぎてなかなか捕まえられない。仮眠の場所を聞きたいのに、、、結局選手に教えてもらい。1時間の仮眠をとり、18時に出発することに。ベッドは3段で登るのは大変。
山小屋を出発した時点で風雨がひどかったが、頑張って進む。19時にcol des pyramides calcaresに着くことができたが、すぐに暗くなり酷い霧で視界がほとんどない状態。GPSだけを頼りに進む。途中、氷河を越えようとしたが滑りやすかったので氷河の上をコンタリングすることにした。col de la Seigneの少し上を越える。若岡さんのGPSナビのおかげでそれほど迷わずにcolを越えることができた。
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コンタリング気味に進むが、夜でさらに霧という悪条件のため、移動速度が遅い。岩場で滑りやすところもあり非常に怖かった。誰かを救助しているのか、ヘリコプターがやってきて飛び立っていった。。。移動速度が遅かったためか、山小屋までが非常に遠く感じた。途中で移動するのをやめたのか、岩陰でビバークしている2人組もいた。最後に急な斜面を200m程度登り、目的地の山小屋Robert blancに23時ごろに到着。この山小屋は大変混雑しており、倉庫(?)に荷物一式を置いていくように言われた。食事のために座る場所がなく、しばらく突っ立っていた。食事は味のしない野菜スープとポテトキッシュ、コーラとデザート。このレース中はとにかくコーラばかり飲んでいた。寝ようと思ったがこちらも順番待ち。やっと順番が回ってきた。二段ベッドの上に押し込まれて寝た。とても暑く1時間半ほどで目が覚めて、トイレに行って戻ったが、同じ場所に戻りたくなかかったので一段目に寝た。多少涼して寝やすかった。全部で3時間程度寝て、4時に出発。幸運にも雨はやんで天気は良いらしい。
まずはどんどん下りきれいな山々を見ながらの移動。雲から山が出ている風景はとても素晴らしかった。気温も低くなく快適な山行だった。
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tete des foursを抜け、山をくだる。途中の湖がきれいだったが、このころから足裏が痛くなり、不安がよぎる。ペースは落とさず、ちょっと速めの歩行を続ける。
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牛のいる牧草地をどんどん下っていく。牛の脇を通るのは怖かったが、牛は襲ってこず落ち着いていた。足裏がどんどん痛くなり、歩く速度も低下。ただ、景色は素晴らしく、いかにもアルプスという光景が広がっていた。小川の横の芝生でしばしの休憩をもらって横になった。銀マットが大活躍。ただ、ここに限らず休憩をするとどうしても予定時間より多く停止してしまうことになり、結局、時間のロスとなる。この時間は非常にもったいないので課題だと思った。
久しぶりのアスファルトに出て、車を見ることができた。今までずっと山の中にいたので、車を見ていない。しばらく歩くとイタリア人女性3人チームが道端で寝ていた。山小屋Robert blancを0時ごろに出発していたから疲れたのだろう。 アスファルトを1km程度歩いて、沢に沿ったトレイルに入る。アスファルトにはTDSのコースマークがあった。トレイルの入り口には2匹の犬が大きな声で吠えており、怖かった。いくつもの小川と中央に川が流れる沢をつめていく。地面が湿地になっているところが多く、靴をなるべく濡らしたくないので歩きに気を遣う。
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天気が良くて気持ちいい旅行。牧草地になっているのか多くの牛がいた。険しい山の間に川が穏やかに流れており、非常にきれいな風景だった。沢を詰めていくと岩石地帯となり、急な坂を登りcol de la novaを越える。下りも急峻だったが、なんとかおりて、残雪を歩き、沢を下りていく。このころから本当に足裏が痛く、歩くのがやっとの状態。
16時ごろに山小屋la Balmeに到着。ただし、経路は指定されたものではなく、多少の近道をしている。山小屋でチケットを使って食事。パン、パスタ、スープ、デザートが出た。あまり味がしない。もちろんコーラを飲んだ。屋外の芝生で30分ほどの昼寝。これが気持ちいい。もっと寝たかった。アルプス周辺だけなのか、水飲み場は山小屋にはほとんどあり、簡単に水の補給ができる。17時過ぎに出発。夕方になると少し寒くなってきた。
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GPSを頼りに進むが紙地図との印象がかなり異なる。他チームも戸惑っているようだった。la pierra mentaを越え 牛がたくさんいるlac d’Amourも脇を抜け長い登山道をひたすら歩く。日も落ちて、暗くなってくる。
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基本的に下り基調の山道。オフトレイルに入ってから、濃霧のため、さらに歩く速度が落ちる。difficult passageがありここは本当に怖かった。一度は、危ないから引き返そうとしたが、引き返すにもかなりの距離を進まなければならず、結局あきらめてdifficult passageを進むことにした。足場が狭い崖の通路を先行する選手についていきゆっくりと歩く。その先にさらに不明瞭な道が細い尾根の上にあり、行くのも引き返すのも戸惑う状況となる。モタモタしていると、インディージョーンズのようなイスラエル人が現れ、どんどん先に行くのでついていった。この時は、本当に助かったと思った。
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途中のGrand montの麓で若岡さんが眠いというので、寝ることにした。若岡さんは温かい格好でそのままゴロンと寝てしまった。このまま低体温症で死んだらどうしようと、少し心配だった。僕はエマージェンシービビーを使ったが思っていた以上に温かかった。30分程度の休憩の後、行動開始。本当は、Grand Montをピストンで登るべきであったが、足が痛いためにキャンセルした。抜け道を探していると、たまたまピストンしてきたイスラエル人に遭遇してついていくことにした。イスラエル人は、濃霧の中をグングン進み本当に頼もしい。結構な時間がかかったが、なんとか山小屋les arollesに到着。もう4日目の朝6時になっていた。Champexにいた日本人スタッフがこの山小屋にまわってきており、色々助かった。
足が痛くてどうにもならないのと、次のライフベースのBaeufortには行けるかもしれないが、その先が厳しそうなのでここでレースを終了することを念頭にとにかくちゃんとしたベットで2時間半寝ることにした。その前に夕食(朝食)をとった。チケットはすでに使い切ったので20ユーロを払って食事をした。仮眠から覚めて今後のことを再検討した。やはり足裏の痛みと時間の制限からリタイアを決定した。リタイアは想定していなかっただけに非常に悔しい。
完走できないと記録は意味がないのだが、今回の結果は
移動距離:180km弱、獲得標高:15,000m
山小屋から下り、麓のレストランで昼食。あー、残念。。。
これでPTL2018の挑戦は終了。空しいというか悲しいというか、脱力感しかない。